コロナで感じる日本の政治

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人間って危機に遭遇すると本心や本能が露出しますよね、最近コロナでアレな言動をよく観測するようになっていろいろと感慨深くなったので思考を垂れ流ししてみます

  • ※感情で考える人はブラウザバック推奨です
  • ※用語とか間違ってるところとか多少あると思います

はじまり

日本という国は世界中の国をグルーピングしたときに民主主義国家, 自由主義国家, 法治国家とか間接民主主義, 立憲民主主義というようなグループに所属します。これらはその国の制度やその国・国民が信仰するイデオロギー(思想)で分類されてると表現できます

また国のイデオロギーに関してはその国を治めてる第一党(与党)のイデオロギーとなってることが大半です。日本なら自民党(正式名称: 自由民主党)であり、Wikipediaによると自民党のイデオロギー的立場は中道右派, 保守主義, 自由主義, 反共主義, etc..のようになっています。当たり前のことですが、与党のイデオロギーが政治・政策などに色濃く反映されるのでその国の制度やイデオロギーを表すときに≒な関係になってるのです

ここで日本は自由主義や法治国家であると前置きしたわけでありますが、最近のコロナ騒動ではそれに反するような発言が多々見られるわけです。たとえば都市のロックダウン(言い換えると他人の行動を制限するということですが、現在の法律上できないことまで言及されることが見受けられる)がありますね
そのような事象についてやっていい・やったらだめだみたいな主張をするのではなく、この記事ではコロナ騒動から考察できる社会の真理についての考察書いてみます

勝った方が正義

物事が正しいか正しくないかを言い争う時、たいていは法律上正しいのかどうかと道徳的に正しいのかどうかが争われてると思います。ここではどちらの指標で正しいかを決めたらいいかなんてことは考察しませんが、人間の行動ベースでは法律上正しいことが優先されると言えます

法律上正しい法律上正しくない
道徳的に正しい99%従う20%従う
道徳的に正しくない80%従う1%従う

※数値はてきとーです、大小関係が正しいとは限りません

ある行動(自発 or 命令)に対して従うかどうかで言えば、感覚的には表のような大小関係になってると思います(もちろん感覚値なのでこうなってないと思うのならこの話は終わりになってしまいます)

では、なぜこのような大小関係になるのでしょうか。少し考えれば、法律を破れば罰せられるという点が思い浮かびます。罰則を言い換えると力によって行動を制限・強制してると表現できます。強いものには従ってしまう、ただそれだけの単純な話に落とし込むことができます

第一次世界大戦や第二次世界大戦で作り上げられた歴史を語るうえで、勝った方が正義という言葉があります。この言葉は勝った方が本当の正義ということを表してるのではなく、勝った方が負けたほうを従わせることによって勝った方が正しいという状態になることを表しているのでしょう
もっと深堀すると正しいかどうかはどうでもよく、相手を自分(達)の思うままに行動・制限すればいいとも言えます、力による支配というやつですね(力による支配と言うと野蛮なイメージが付きますが、民主主義国家においても力による支配は行われてると言えますよ、多数派や選挙で勝った派閥は数という力で支配してると言えるので)

法治国家において正しいこと

法治国家において正しいことは法律に従うことです。前章では道徳的に正しいとかの話を混ぜましたが、ここでは人の行動を制限・強制するという意味において正しいことは法律に従うことと表現します

法治国家の中において、人の行動を制限・強制するなら法律を思いのままに変えればいいのです。たとえばキノコを食べることは違法にすればキノコを食べる人を減らすことができますし、キノコの存在自体を違法化すればキノコ絶滅キャンペーンをすることができます
法治国家かつ民主主義国家であれば、選挙を通じて自分たちに都合の良い法律を作り上げればいいということになります

ただし例外として国外の圧力があります。外交や戦争によって他の国を自国の都合の良い風に従わせることができるのです。そのため世界には様々な国がありますが人道的にやばい国は干されていき、似たようなイデオロギーの国ばかりになっていきます

この章でのまとめは、法治国家においては正しいことや人の行動は法律で決めるがやべぇことをしてると外圧で止められるということです

無敵の人

コロナ騒動の前には無敵の人騒動というものもありましたね、失うものが何もない人は法律を破ってアレな行動をするという奴

法治国家においては無敵の人のアレな行動は正しくないと言えますし、罰則によって行動を制限・強制しようとしてると言えます。ただ、無敵の人がなぜ無敵なのかというと罰則が通用しないという点です。失うものがないので罰則が怖くない、だから行動が制限・強制されずにアレな行動をするという流れです

行動に対する事後の罰則ベースでは無敵の人を止めることができないので問題になったわけですが、事前ベースで無敵の人を止めるには自由主義国家においては個人の自由を制限してしまうことに繋がるという問題につながるので難しい話なわけです

自由主義と政治的・経済的イデオロギー

自由主義と言っても政治的イデオロギーと経済的イデオロギーどちらの面で言ってるのかによって指してることが異なってきます

政治的に自由主義といえば、個人の権利や表現の自由や政府が個人に介入しないといった幅広い自由を表します。政治は経済を含んでいるので政治的に自由主義というと経済の面も含んでしまいますが、経済的に自由主義といえば経済にフォーカスされ政府が市場に介入しないといった内容が中心になるかと思います

また、日本の政党のイデオロギー的主張は世界で見ると特殊なものになってきます。自由主義を英語ではリベラリズム(略: リベラル)と言います。日本のリベラルは自由を与えるというよりは規制をしようとしてると思う方がいると思いますが、日本におけるイデオロギーは語源と異なった主張を行ってることがあったりします。それは歴史的経緯でしょうがない面がありますが、外国の政治と比べる時は注意が必要です

イデオロギーを政治的なものと経済的なものの2つに分類分けするならば、それを2次元グラフとして表すことができる、そういったものとしてポリティカルコンパスというのがあるので気になる人はググってみてください。自分のイデオロギー的立場がわかります

ロックダウン

ロックダウンってタッチダウンに語感が似てるよねって話はおいておいて、最初の話のコロナ騒動における現状の法律ではできないロックダウンについてです

法律上ロックダウンできない(=外出しまくってもいい)というのは今のところ正しい(行動を制限できないという意味)と言えますし、いくらロックダウンが正しいと主張しても法律を変えるまではできないのです(憲法上の問題で法律を変えることができないというのはあるかもしれませんが、それなら憲法を変えるほかない)

現在の日本は良くも悪くも自由主義陣営というわけです。それがいいと思う人はこのままの現状維持路線で次の選挙でも投票先を決めるでしょうし、人の行動をもっと制限できて欲しい状態(政治的に非自由主義)になってほしいと思う人はそういった投票先を決めるでしょう
それは今までも変わらなかったわけですが、コロナ騒動でそういった思考の人が増えるかもなぁと思うと感慨深いわけです

おわりに

何が正しいかはどんな方法であれ自分たちで決める、今やってはいけないことでも法律がOKという形に変わればやっていいことになってしまう。どこかの国で外出してたら射殺されたみたいなニュースがありましたが、そんなことが法律でOKになる日が来るかもしれませんね(来ないと思うけど)
長くなりましたが、民意(選挙)によって法律はどんどん変わっていくし、それは社会事情が大きく反映されるので次の選挙はエモくなるぞという話です

関連ワードとして民主主義の自殺とか戦う民主主義とかあるので気になる人は考察がてらにググって見てちょ